競泳は水泳の1パートである


  • 競泳は水泳の一部であると気がついたことが、当クラブの原点になりました。

   私は1963年から水泳指導を始めました(クラブ登録は1965年)。

   が、指導を始めて20年を経て、やっとその事に気が付いたのでした。

   そう言う意味では、1985年が当クラブの誕生日と言って良いでしょう。

   ■■☆☆

   1985年当時の日本の全ての指導者は競泳のために存在していました。

   「強い選手を出すために指導しているのだろ」

   「それ以外の何のためにお前は指導するのだ」

   多くのコーチにそう言われました。

   実際全ての指導方法は勝つためにどう指導するか?

   勝つためにどう日常生活を送るか?学校の勉強とどう折り合いを付けるかのか?

   泳ぎのスキルも、パワーの付け方も、スタミナの配分も、もちろんスピードも、

   すべて勝つために考えられ、流体力学も、栄養学もその為に導入されました。

  • ■■☆☆

    繰り返しますが
  • 1965年から、1984年までは、私はひたすら、競泳指導をしていました。

    エイジグループで1番になる子供。

  • ジュニアーオリンピックで記録を出す子供もいました。

    やがては、世界に出ていって、オリンピックを目指す。

  • 1964年の東京オリンピックで惨敗した日本の水泳を立て直したい。

  • それが当時、子供の水泳を指導していたコーチ、私達の原動力でした。

  • 子供を連れて、全国の様々な大会、記録会、に参加しました。

  • しかし、スポーツが人々の中に浸透してゆくにつれ、人々のスポーツに対する期待は

  • 「競技で勝つ」ものから

  • 健康になるため、楽しみのため、自然の中で思い切り身体を動かすため

  • 或いは、コミにケーションの手段など、に変わっていきました。

  • 私達は一部の人のために指導しているのではないか?

  • 試合を目指す人のためだけれど、それは多くの人の望みではないのではない。のでは?


 
それは選手

(選手とは文字通り、選ばれた少数の人を指します)

のための一部の人のものであって、

大多数の人への指導方法ではない。


その事に気がついたのです。

1964年の東京オリンピックで惨敗した日本水泳界は

「水泳連盟」が主導権を取っていました。

私の所属する日本スイミングクラブ協会は

このまま「水泳連盟」に任せておいても日本は勝てないと

多くの先輩が集まって、創設されたものです。

ですから、徹底的に「速い泳ぎ」を追求する指導方法です。

対して、

大多数の人々への指導はどうでしょう。

高校や大学の部活動(競泳の部活)であってはいけません。

大多数の人はその様な指導方法に、

ついてこられるはずはありません。

■■☆☆

大多数の人々が、水泳をするのは

生きてゆくために

心身の健康のため、

水泳によってより良い人生を生きるため、

ストレスの多い都会の生活からの脱緊張のため、

のびのびとした、美しい身体を手に入れるため、

など等、なのです。

■■☆☆

私は水泳指導が多くの人に役立つ方向を

1980年頃から模索し始めました。

そして、


 競泳は指導の一部としてと位置づけ、

生きていくための水泳

(生涯スポーツという言葉はまだありませんでした)

と2つを並べて、

1985年から新しい指導を本格的に始めたのです

基本に忠実な水泳を

競泳を目指さない大多数の人々に、指導するのは、

カリキュラムが無いのですから、難しい作業でした。

2016年の今日は、

様々なクラブやスクールでその様な指導が行われています。

当時私が想像もしなかった、

ポクシングを水中で行う、「ボクササイズ」と言うプログラムや

「アクアダンス」などのプログラムも一般化しています。

■■☆☆

今日 競泳を目指さない水泳指導という方向は

多くの人々に支持されています。

競泳を指導しないのではありません。

それだけを指導していたのでは

多くの水泳離脱者を生んでしまうのです。

2020年に、また東京でオリンピックが開催されます。

これから多くの人が様々な種目で選手を目指すでしょう。

しかしこの事は同時に

選手にならない、選手を目指さない、だけどスポーツをしたい、続けたい

その様な人をますます増やす事にもなります。

その様な人たちに水泳の本当の良さを理解して貰い

水泳を一生のスポーツにして貰うために

これからも当クラブは

以上の様なコンセプトで指導してゆきます。

私達の前に道はありません。

私達の後ろに道はできます。